数日前に自己分析のブログに「どんな言いつけも絶対に守らなければならないと考えていた子供時代@自己分析」という記事を書きました。
今回はこの記事の私体験を元に、特に抑うつ型の自己愛的な人の「気質」と呼ばれる生まれながらの性格傾向について取り上げます。

生まれつき親の期待に非常に敏感な才能に恵まれた可哀想な子ども

リンク先に書かれていますように、幼少期の私は(文字どおりの意味で)どのような言いつけも絶対に守らなければならないと考えるような子供でした。
そのため「お昼ご飯は残さず食べなさい」という言いつけを守るために、自ら率先して床に吐いた食べ物まで食べようとしたのです。

私のような頑なさは極端な例としても、相手が自分に何を期待しているのかを非常に敏感に感じ取り、その期待に必死に応えようとする子供たちのことが以前に紹介した『才能ある子のドラマ』に綴られています。
そしてこのような子どものことを著者のアリス・ミラーは「可哀想な恵まれた子」と称しています。

才能に恵まれた子が、なぜ可哀想なのでしょうか?
いっけん相手の期待を敏感に察知し、それを満たせる人は「気が利く人」と評価されるなど、良好な人間関係を築けるように思えるかもしれません。
しかしそれは大人になるにつれ、そのようなスキルを徐々に身について行った人のケースで「気質」と呼ばれる生まれながらの性格傾向としてこのような才能を身につけている子どもの人生は、それとは大きく異なります。

その才能ゆえに親の期待を一身に受けることになる

どのような親でも人間である以上、子どもに「○○のような人間に育って欲しい」との期待を寄せ、その期待に適うように多少なりとも子どもをコントロールしてしまいがちです。

この場合、いちいち言わなくても自分が何を望んでいるのかを敏感に察してくれる子どもと、口やかましく言ってもなかなか言うことを聞いてくれない子どもがいたとしたら、どちらのタイプの子どもにその期待が向けられやすいでしょう?
答えはもちろん前者のような子どもです。何でも言うことを聞いてくれるので、とても楽だからです。いわゆる「手のかからない」子どもの典型です。

こうして生まれながらに親や他人の期待に非常に敏感に感じ取る才能に恵まれた子どもは親の期待を一身に受け、対してそうではない子どもはそれほど親のプレッシャーを受けることなく、ある意味伸び伸びと育って行きます。
うちの親も「弟には言っても仕方がないから、もう諦めている」が口癖でした。

期待は愛情とセットで注がれる

さらに違いは、これだけではありません。
聞き分けの良い子と、苦労が絶えない子とでは、どちらの子の方がより可愛く思えるでしょう?
こちらも恐らく前者でしょう。

こうして場合によっては溺愛に近いような愛情が偏った形で注がれるようになり、その結果渦中の子どもに対して「お前を愛しているからこそ人一倍期待もするのだ」、つまり「期待=愛情の証」というメッセージが届けられることになります。

これはその子にとって相当なプレッシャーです。
なぜなら少しでもその期待に背くことは、親の愛情を裏切り悲しませることになってしまうためです。
またそうして悪い子になってしまうことで親の愛情を失う不安も生じるため、その子はそれを回避するために益々その才能に磨きをかけ、これまで以上に親の期待に必死に応えようとするでしょう。

こうして親の期待に応えることが人生の目的そのものと言えるような、とても聞き分けの良い、親からすればある意味理想的な「良い子」が誕生します。

親の期待は愛情を一身に受けることは自己愛的な特権意識や優越感の温床ともなる

さらにこの才能がもたらす影響はこればかりではありません。
期待や愛情を一身に受けるということは、その子に「自分は選ばれた特別な子ども」との特権意識優越感を生じされ、これがDSMの自己愛性パーソナリティ障害の診断項目に列挙されているような特徴の温床ともなります。

こうして他人を強烈に蔑む一方で、他人のニーズに過敏に反応し従属するような態度を取るという自己愛特有の非常に二面的な性格構造を発達させていきます。

他方の子どもが反社会的な人間に育ってしまうリスクも抱えている

またこのような偏った子育ての仕方は、他方の子どもにとっても同じほどに有害です。
親から少しも期待や愛情を注がれないことがどれほど辛いことであるのかは説明不要でしょう。

またそのような無関心な親の態度があまりに酷いと、もっとも治療が難しく、かつもっとも犯罪率が高い反社会性パーソナリティの温床となります。

子どもが自分の思いどおりに育つことに何ら違和感を感じない親は極めて自己愛的な人間

最後に今回の内容の主たる原因が子供の悲劇的な才能にあるとの誤解を招くといけませんので、その点を補足します。

子どもの才能に促されたものとはいえ、平均的な親であれば、どこかの時点で子どもの様子や自分の態度に違和感を感じるはずです。
もしその違和感をほとんど感じず、子どもが自分の思いどおりに育っていることにただただ満足している親がいるとすれば、その親はコントロール欲求が非常に強く、他人を自分に満足感を与えるための道具のよう存在とみなしているような極めて自己愛的な人間でしょう。

参考文献

アリス・ミラー著『新版 才能ある子のドラマ―真の自己を求めて』新曜社