現代における「人間は社会的動物」という常識

今回は少し間が空いてしまいましたが「私説:現代人は心身二元論の影響を受けて、心とのみ同一化し身体が疎外されている」の最後で触れた、現代人に特有の孤独感についてです。

現代に生きる私たちは、誰かと一緒に時を過ごしていると、それが心地良いものである限りにおいては幸福感を感じ、その一方で一人きりになると途端に寂しさや心細さのようなものを感じる傾向があります。
そしてこのような傾向は「人間は社会的動物」という言葉に象徴されるように、本能的なものと考えられています。

私が度々援用する自己心理学を創設したハインツ・コフートもそのような考えの最たる存在で、晩年の彼は空気を必要とするのと同じように、常に人との心温まる関わりを求めるのが人間であると考えていました。

また、このような前提が多くの人々の間で共有されているからこそ、NHKの福祉系の番組などで孤独を問題視し、その状態を解消するためにコミュニケーションを活性化する様々な試みが紹介されているのだと考えられます。

古代の人々は現代人が感じるような孤独感は感じていなかった

しかし上述のような人間関係への強い希求を人間の本能とする考えには疑問の余地があります。

例えば自己心理学とともに度々援用している、プロセスワークと呼ばれるユング心理学の流れを汲む思想は、現代の心理学に加えて、古代の人々や現代に生きる先住民族の人々のシャーマニズムあるいはアニミズムの考えや実践をかなり取り入れています。
そこで援用されているミルチャ・エリアーデなどの研究によれば、シャーマニズム的、アニミズムな思想を持っている人々は人間同士のみならず他の生物、さらには自然や宇宙全体、そして目に見えない精霊などとも深い繋がりを感じることができるため、大自然の中で独りで過ごしていても、猛獣に襲われる危険性は感じても、現代人が感じるような孤独感を感じることはないそうです。

中世の人々も現代人が感じるような孤独感は感じていなかった

また時代を下り中世ヨーロッパへ目を移すと、そこではキリスト教の広まりによって古代のアニミズムな思想は影響力を失い、それに伴い大自然との一体感も徐々に失われていきました。
しかしそれに代わって神との一体感が新たに生じました。

なおアニミズム的な思想においても「万物に神が宿る」という言葉に象徴される無数の神が存在しましたが、キリスト教における神とは「絶対神」と呼ばれる、この世のすべてを司る全知全能の神であるため、アニミズム思想における神や、あるいは古代ギリシャ・ローマの神話の神々とは根本的に異なる性質を有した存在です。

この絶対神を崇拝する感覚は「絶対的帰依」と呼ばれ、これは(文字どおりの意味で)すべてを神に託し身を委ねるものです。
具体的には、個々人の人生でさえ、すべて神によって規定されていると信じられていたため、個人の努力で人生を切り開くという発想自体が存在しない状態です。

また古代の人々と同様に中世の人々も死後の世界の存在を信じていたため、神の審判により無事に天国へ行けるか、それとも永遠に地獄の苦しみを味わうことになるのかの違いは大問題であり、その審判のためにいかに善き人生を送ることが現世、つまり人生の最大の目標であるような時代でした。

ちなみに仏様に祈り続けることで救済を求める日本の念仏も、基本的な信念はこのキリスト教に近いものではないかと考えられます。

非常に心強い理想化自己対象の存在が、中世までの人々を孤独から救っていた

これらの時代の人々の感覚の特徴は、コフートの自己心理学の理論で解釈すれば、理想化自己対象と呼ばれる「この人の言うことに従ってさえいれば必ず幸せになれる」と確信できるほど理想視できる他者が存在していたことでした。

そしてそのような他者の圧倒的な力の存在を信じることができたからこそ「困った時には必ず神が助けてくださる」と思えて安心していられたのではないかと考えられます。

完全なる理想化自己対象を失った現代人

それに対して近代以降では、アニミズム的な思想だけでなく、神に対する信仰心さえも徐々に失われてしまったため、完全なる理想化自己対象が消滅してしまいました。

正確には信仰心が完全に失われてしまったわけではありません。
しかし多くの国では近代科学の影響で、キリスト教を例にとれば、人間は神の被造物ではなくサルから進化した生物であり、またこの世は神の意志によって動かされているのではなく物理法則に則って動いているとの考えが「客観的事実」とみなされるようになったため、神の権威や影響力は大きく失墜してしまいました。

「私」という感覚がより明確になったことも孤独感を感じる一因

またもう一つの要因として、この絶対的な存在の権威の失墜により「私」という感覚がより明確となったことを挙げることができます。

現代に生きる私たちとって「私」という感覚は当たり前に感じられるものですが、この感覚が人々の間で明確になったのは近代以降であると言われています。

この個人としての「私」が強く意識されるということは、自分が他人とは異なる存在であることを意識されることであり、自他の心理的な境界がはっきりすることでもあるため、その他人との間にはっきりとした境界を有しているという感覚が、つながってはいないという感覚を生み出すのではないかと考えられます。

代替手段が失われた結果「人との繋がり」に強く依存するようになった現代人

こうして絶対的な信頼を寄せられる対象を失い、かつ他人とは異なる私という感覚を強く感じるようになった現代人にとって、代わりに心の支えとしてもっとも重要な要素として機能するようになったのが他人との心のふれあいではないかと私は考えています。

ですからコフートらが想定する、他人との心のふれあいを求める心理は、赤ちゃんがそうであることから恐らく本能的なものではあるかと思います。
しかし中世以前の人々がそうであったように、その後の人生において社会から提供されるそれ以外の要素が心の安定に与える影響も非常に大きいため、人との繋がりだけがその人の心を支えるものであるわけではないと言えそうです。

中世以前の人々は、大いなる自然や神との一体感を、あるいはそこまでには至らなかったとしても、それらの力を身近に感じることができたため、独りでいても現代人ほど孤独感に苛まれることはなかったのではないかと想像されます。

参考文献

アーノルド・ミンデル著『プロセスマインド: プロセスワークのホリスティック&多次元的アプローチ』春秋社、2012年

ナンシー・マックウィリアムズ著「パーソナリティ障害の診断と治療」創元社

青山昌文著『西洋芸術の歴史と理論―芸術の深く豊かな意味と力 (放送大学教材)』放送大学教育振興会、2016年