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自己愛性人格障害・自己愛障害 一覧


今回の記事は「過干渉と過保護の違いと、それらが温床となる自己愛性パーソナリティのタイプの違い〜自己愛講座35」の続編として、過干渉や過保護に陥りがちな親の心理の特徴について記述する予定でしたが、過保護の内容が予想していたより長くなりそうですので、今回はそれよりも広く見られる過干渉に絞ることに致します。

(あくまで解釈上のこととして)自覚なき干渉や強いコントロール欲求が存在

まず過干渉には文字通り親から子へを過剰なまでの干渉が存在しますが、当の親自身にはその自覚はほとんどありません。
後述するように、子どものことが心配で心配で仕方がないため、とても放ってなどおけないというのが親の気持ちの典型です。

また過干渉の心理の説明として、よくコントロール欲求が挙げられますが、これも心理の専門家から見ればそのように見える、つまり解釈に過ぎないであり、親自身がその欲求を自覚しているわけではありません。

このように過干渉の心理の説明の多くは事実ではなく解釈の提示であり、親自身は自らの行為を愛情に基づくものと認識している点が特徴です。

過干渉を「愛情の証」と錯覚することが親子共々の傷つきを生み出す

また上述ような特徴があるからこそ、子どもが親の過干渉的な行為に対して不満な態度を示すと「こんなに愛しているのに、その気持ちを(少しも)分かってくれない」と思い深く傷ついてしまうことにもなると考えられます。

それだけではありません。その親の深い傷つきは態度を通して子どもにも伝わりますので、今度は子どもの方が「自分が不満を感じてしまったために親を傷つけてしまった」と罪悪感を感じてしまうことも起こり得ます。

共生期の親子関係では、子どもの側にも「愛情の証」との錯覚が生じる

なお、古典的な精神分析理論で共生期と呼ばれる、極めて重症域の親子関係では、子どもの側も親の過干渉的な態度を「愛情の証」との錯覚し、居心地の良さを感じるようになります。

こうした親子関係は以前の記事「NHK「お母さん、娘をやめていいですか?」~仲良し親子の関係に潜む共生期の恐ろしさをリアルに描いたドラマ」で取り上げたドラマの冒頭部分で的確に表現されていました。
教師を務める主人公が、常にスマホで見守り、事あるごとにアドバイスをしてくれる母親の愛情に包まれて、満ち足りた日々を送っている様子がその状態を示しています。

ですが、こうした未だに幼少期の延長線上にあるような未熟な親子関係が、日本では病理とみなされることはあまりなく、むしろ仲の良い理想的な親子関係と捉えられることが多い点は上述の過去の記事でも指摘した通りです。

高圧的な態度に出られるのは子どもに対してだけという内弁慶の傾向

また過干渉の親は、ドラマなどではモンスターペアレントのように描かれることが多いようですが、実際の過干渉の親は、私の親もそうでしたが、家族以外の人に対しては内心ビクビクしながら気疲れしてしまうほどの気遣いをしてしまうようです。
ですからモンスターペアレント像は多分に制作上の演出で、そうした行為に出る過干渉タイプの親は、実際はそれほど多くはないのではないかと考えています。

それよりも過剰に世間体を気にして、外面が非常に良いのが特徴と考えられます。

子どもに対する過剰な心配が過干渉を生む

最後に過干渉的な行為を生み出す親の直接的な動機についてですが、このような行為は親の子どもに対する過剰な心配が最も大きな要因と考えられます。
つまり子どもを支配したいわけではなく、また思い通りにしたいわけでもない。
意識されているのは(どんな些細なことでも)子どものことが心配で心配で仕方がなく、とても放ってなどおけないという、居ても立っても居られない心境です。

予期不安が強い傾向

またこの過剰なまでの心配ぶりから推測される親の心理は、総じて不安が強く、特に予期不安と呼ばれる、これから起こる可能性がある(確率がゼロではない)ことに対して「もし起きたらどうしよう」と心配になる傾向を有していることです。

予期不安が強い状態では、起きる可能性が少しでもあるだけでそれは心配のタネとなるため、恒常的に不安に支配され、かつその不安のタネに敏感にもなりがちなため、その不安を取り除くことに心を奪われ多くの時間をそのことに費やすことにもなります。

共生期の親にとって子どもは心理的には自分の一部、あるいは融合した存在

さらに上記の子どもに対する不安の強さは、先ほど述べた共生期の心理状態とも関連していると思われます。

共生期では、物理的には別個の存在であることを認識してはいても、気持ちの上では未分化の状態が想定されています。
これは乳幼児期の母子密着の感覚が、子どもが成人したのちもそのまま残っているような心理状態や互いの関係を意味します。

このため未だに子離れできず共生期の状態にとどまっている親にとって、子どもの心配事は自分自身の心配事と同じレベルのものとして体感されることになります。

この意味で過干渉とは、あくまで他人から見たときの「親から子への」行為の捉え方であり、当の親からすればそれは子どもという他者への心配心ではなく「私たち」という不可分な1つのユニット、あるいは自分の一部分にまつわる問題への心配という感覚なのです。

またこの子どもを自分の一部のように錯覚する心理は、これまでの自己愛講座で触れてきた自己対象と同じく、他者を自分の一部として道具のように利用することで自尊感情を高める効果を発揮しますが、その他者との心理的な境界がほとんど存在しない点で、より重症と想定されています。

次回は過保護の親の心理について考察する予定です。


今回の記事は少し前にFBページの投稿で予告致しました、過干渉と過保護が異なるタイプの自己愛性パーソナリティを生み出すことに加えて、世間ではこの過干渉と過保護とが混同されているようにように思えますので、それぞれの内容についても簡単に整理致します。

過干渉と過保護の違い

過干渉と過保護の定義は、専門家の間でも必ずしも一致を見ていないようですが、私は次のような違いがあると理解しています。

過干渉

(多くの場合、心配なあまり)子どものあらゆることに干渉し、その結果子どもの自由を著しく奪ってしまう親の態度。

過保護

子どもの欲求に制限を設けることができないために子どもの言いなりになってしまう、あるいは子どもの自由を過度に尊重してしまう親の態度。

以上のように両者には、子どもの自由度に関して両極端の違いが見られます。
そしてこのことは子どもの側からも感じられることです。
特に過干渉では、よほど重症でない限りは、ほとんど例外なく子どもは時にかなりの不自由さを感じているはずです。

過干渉と過保護が生み出す自己愛性パーソナリティのタイプの違い

続いて、この過干渉と過保護が生み出しやすい自己愛的な性格構造(自己愛性パーソナリティ)のタイプについて記述します。

過干渉は抑うつ型・過敏型の自己愛性パーソナリティの温床となりやすい

まず過干渉の親の元で育った子どもは、その親の態度に反抗できない限りは、何でも親の言いなりになるような人生を送ることになります。
このような子どもの人生の目的は、もっぱら親を喜ばしたり親から褒めてもらうことであるため、親とは異なる自分自身の欲求というものがほとんど存在しません
仮にそのようなものを感じることがあったとしても、その多くは親の期待を取り込み、それを自分自身の欲求と錯覚していることが少なくありません。

このため過干渉の親の元で育った子どもは、すべての価値判断の基準を自分の中に持たず、それを親に全面的に委ねているため、その後も自分の価値を決定する絶対的な権力を有した親の顔色を常に伺い、その親の態度に怯え一喜一憂するような毎日を送ることになります。

以上のような要因から、過干渉の親の元で育った子どもは、自己愛講座1で触れた「他者からの肯定的な評価による自尊感情の維持に常に心を奪われている」という自己愛性パーソナリティの判別基準を満たすことに加えて、親の態度に怯え一喜一憂する不安な日々の繰り返しから気分が落ち込みがちとなり、また何事にも自信を持てなくなります。

そしてこのようなナルシスティックな印象とは大きく異なるタイプの自己愛性パーソナリティは抑うつ型の自己愛性パーソナリティ、あるいは他人からの評価に非常に敏感であることから過敏型の自己愛性パーソナリティと呼ばれています。

※抑うつ型・過敏型の自己愛性パーソナリティの詳しい特徴については、後述の誇大型・無関心型の自己愛性パーソナリティとともに別の機会に譲ります。

過保護は誇大型・無関心型の自己愛性パーソナリティの温床となりやすい

続いて過保護と自己愛性パーソナリティとの関係について記述しますが、こちらの関係は前述の過干渉のケースとは異なり、容易に想像がつくものです。

過保護の親の元で育った子どもは、社会に適応して生きていくために必要な欲求の制限を受けることなく成長してしまうため、万能感誇大感と呼ばれる「望めば何でも叶えられる」かのような錯覚を生じやすくなり、このことが家庭外の世界における対人関係のトラブルを頻発させることになります。

このタイプの人は抑うつ型・過敏型の人と同じく「他者からの肯定的な評価による自尊感情の維持に常に心を奪われている」という自己愛性パーソナリティの特徴を備えながらも、別の機会に詳しく説明する防衛機制と呼ばれる心の働きの強さによって、抑うつ型・過敏型の人のような不安をそれほど感じることがないため、むしろ自信満々な印象を与えます。
しかしその自信は周囲の人から見れば何ら裏付けのないものに写るため自画自賛しているようにしか思えず、この特徴から誇大型の自己愛性パーソナリティと呼ばれています。

またその自画自賛の様は、他人の評価などまるで気にならないかのような印象を与えるため、無関心型と言われることもあります。

次回は今回記述できなかった過干渉と過保護を生み出す親の心理について考察し、抑うつ型・過敏型および誇大型・無関心型の自己愛性パーソナリティのより詳しい解説はその次に回す予定です。

参考文献

ナンシー・マックウィリアムズ著「パーソナリティ障害の診断と治療」、創元社、2005年
岡野憲一郎著「恥と自己愛の精神分析 : 対人恐怖から差別論まで」、岩崎学術出版社、1998年
G.O. ギャバード著『精神力動的精神医学―その臨床実践「DSM‐4版」〈3〉臨床編 2軸障害』、岩崎学術出版社、1997年


今回の記事は日本人の多くが議論を苦手としていることと、自己愛的な性格構造の特徴の1つである自己中心性との関連についてです。
この話からお分かりのように、議論が苦手なのは単にスキル不足だけが原因ではないと考えています。

自己中心性あるいは自己中心的という用語のもう1つの意味

自己中心性あるいは自己中心的という概念は、一般的には自分のことしか考えない自分勝手な性格を表す言葉として理解されていると思います。
ですがこの概念にはもう1つ、あらゆることを自分に結びつけて解釈する傾向という意味合いもあります。

この傾向の表れとしては、誰かが噂話をしていると自分のことに違いないと思い込むことや、誰かが不機嫌だったりするとその原因が自分にあるに違いないと思い込むことなどが挙げられます。

さらにこの傾向がどんどんエスカレートしていくと、やがては世界中で起きているあらゆる不幸な出来事をすべて自分のせいと思い込むようにもなります。
また頻度はずっと少ないのですが、外界で起きているポジティブな出来事をすべて自分の手柄のように思い込むケースも稀にではありますが生じます。

他者評価への過敏性が、あらゆることを自分に結びつけて解釈する自己中心的な傾向を生み出す

このような自己中心的な傾向は、自己愛的な性格構造の人によく見られます。

自己愛講座1でも示しましたように、自己愛的な人は他人からの肯定的な評価により自尊心を維持することに心を奪われているため、他人からの評価に非常に敏感になっていますが、この他者評価への過敏性が、自分とは関係のないことまでをも自分に結びつけて考える行きすぎた解釈へと繋がるのではないかと考えられます。

自己中心的な人は、話の内容を批判されると、自分自身が否定されたように感じてしまう

そしてこの何でも自分に結びつけて解釈する傾向を有している自己愛的な人が、議論などの意見の対立が生み出されるような状況に身をおくと、自分の意見が少しでも批判されただけでも、自己中心的ゆえにそれを自分の人格的な側面が否定、それも全面否定されたように感じてしまうため、途端に自尊心が打ちのめされてしまいます。

このように自己愛的な人にとって議論の場とは、意見を通じて自分の価値そのものが評価に晒される場として感じられるため、とても冷静でなどいられませんし、意見のすべてを肯定してもらえない限り心が安らぐこともありません。

ですから今回のテーマとは少し逸れますが、自分の意見を決して否定せず、すべて肯定的に受け止めて欲しいという願いも、この自己中心的な傾向から生まれるものと考えられます。

次回は、この自己中心的な傾向が人間関係のパターンにも特徴的に現れることを提示する予定です。

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カウンセラー プロフィール

田尻健二
保有資格:
産業カウンセラー
米国NLP協会TM認定NLPマスタープラクティショナー
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