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自己愛性人格障害・自己愛障害 一覧


今回の記事は『うつ病の力動的精神療法』という本の紹介です。

力動的精神療法とは精神分析の別名

まず力動的精神療法とは、典型的には精神分析のことを指します。
精神分析では、創始者のフロイトが人間の心を、互いに相矛盾するニーズを持った様々な力が衝突し合っているとの仮説を打ち立てたため、その有様が精神力動と呼ばれ、その仮説に基づく精神療法が力動的精神療法と言われることがあります。

うつ病の精神分析的な治療が適したケースは決して多くない

次に精神分析の、うつ病その他の気分障害への適用の可能性についてですが、本書のはじめの方にも書かれていますように、フロイトの流れを受け継ぐ伝統的な精神分析の治療構造に厳密に従うタイプの手法を用いた場合、効果が期待できるのは、私が以前に病体水準の記事で述べた神経症水準の人のみが該当することになります。

具体的には症状の緩和だけではなく、自己内省にも関心を示し、かつそれを可能とする自分を客観視する能力を有し、さらには治療同盟と呼ばれる治療者との間の良好な人間関係を比較的速やかに形成できるコミュニケーションスキルを有するなど、とても健康的に思えるような人です。

このため伝統的な精神分析の手法が適用可能となる気分障害は、やはり同書にも書かれているように比較的軽症の人、典型的にはDSM-5の特定の診断基準を満たすまでには至らず「抑うつ状態」「抑うつ傾向が見られる」などの診断が下されるケースのようです。

日本では、うつ病への対処の主流は薬物療法

また日本では、うつ病や抑うつ状態にある人に対するサポートの第一選択肢は、病院の精神科や心療内科における薬物療法であり、私のような心理療法家の元を訪れる人は、その薬物療法でも改善が見られなかったような重症域の人というのが典型的なケースです。

その意味でも、少なくても日本では心理療法家が同書で提唱されている技法を活用する機会は非常に限られてくると考えられます。

うつ病の自己愛的な側面に触れた貴重な本

それでも私がこの本を紹介した理由の一つは、同書がうつ病その他の気分障害の自己愛的な側面に触れた数少ない本であるためです。

自己愛型の抑うつ症状は現代型うつ病、あるいは非定型うつなどと呼ばれ、従来型のうつとは区別されるのが一般的です。
そして従来型のうつに罹りやすい人は、真面目すぎるためにストレスを溜め込む傾向が強く、また人目を気にしやすく罪悪感が強い傾向があるとの説明をよく見聞きします。

ですが私が相談を受けたうつ病の方には、あくまで見立てではありますが、いずれも自己愛的な傾向が見受けられました。

例えば常に良い行い、正しい行いをしなければいけないと思っている人がいたとします。
しかしその理由が他人から良い人と思われたいからであったり、あるいは他人からの批判を恐れてのことであったとすれば、その人を突き動かしているのは罪の意識ではなく恥の感覚です。

また自己愛講座1にも書きましたように、自己愛的な人の定義は、他者からの肯定的な評価により自尊心を維持することに常に心を奪われているような人ですので、過度に人目が気になるのは自己愛的な人の特徴と言えます。

同書では抑うつ状態に陥りやすい人の特徴の一つして自己愛の傷つきやすさを想定し、その説明に2章を割いています。
うつ病の解説書の中で、うつ病の自己愛的な側面についてここまで詳しく論じているのは、私が知る限りこの本だけです。

次回は同書のもう一つの特徴について掲載する予定です。

フレドリック・N. ブッシュ、セオドア シャピロ、マリー・ラデン著『うつ病の力動的精神療法』金剛出版

『うつ病の力動的精神療法』


今回の記事は予定を変更して恐縮ですが「NHK「お母さん、娘をやめていいですか?」~仲良し親子の関係に潜む共生期の恐ろしさをリアルに描いたドラマ」「共生期状態の母親は娘を気持ちの面では赤ちゃんのようにケアが必要な、か弱い存在と錯覚している~NHKドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」より」とも関連したものです。

今回は「ファザコン」「マザコン」という名称、特に後者のマザコンについて考察します。
昔からそのような人はいましたが、徐々に増えて来ているように感じられるとともに、そのような人に対する評価が大きく変化して来ているように思えるためです。
上述の記事で取り上げたNHKのドラマの娘も、そのような典型例です。

昔は「ファザコン」「マザコン」は親離れできない子どもの病理と見なされていた

「ファザコン」「マザコン」とは、ご承知のようにファザー・コンプレックスとマザー・コンプレックスの略称です。
この「ファザコン」「マザコン」は、昔は親離れできない子どもの病理と見なされていました。

その典型例が、若い方はご存じないかもしれませんが、昔一世を風靡したドラマ『ずっとあなたがすきだった』で佐野史郎さんが演じた冬彦という役柄で、冬彦さんブームとまで言われました。
簡単に説明しますと、野際陽子さん演じる母親を理想化するあまり、結婚してからも事あるごとに母親の判断を仰ぎ、また夫婦関係よりも親子関係の方を重視し、さらには妻に母親のような理想的な女性になってくれることを期待するような人物です。

このドラマ『ずっとあなたがすきだった』の親子は、互いに自慢の母親、自慢の子どもと理想化し合い、また二人の関係がこの世の何より大事という点が「NHK「お母さん、娘をやめていいですか?」~仲良し親子の関係に潜む共生期の恐ろしさをリアルに描いたドラマ」に既述したNHKのドラマの親子と共通しています。
ですから同じくもっとも重症域である共生期の自己愛的な親子関係とも言えます。

特にマザコンの評価は散々なものだった

また特にマザコンの方は、冬彦さんとそれを演じた佐野史郎さん自体は、その役柄の強烈なインパクトから大変な人気者となりましたが、実社会における評価はいわゆる気持ち悪い男性の代名詞のような扱いを受けるなど散々な評価をされていたように思えます。
これはそのような男性のことを、大多数の女性が気持ち悪いと感じていたからではないかと考えられます。

「気持ち悪い人」から「優しい人」への大転換

ところがここ数年このマザコンの評価が一変して来たようです。
具体的には、例えばその仲の非常に良い親子の関係を見て「こんなにお母さんのことを大切にしている人なら自分も同じように大切にしてくれるに違いない」と考えたり、あるいはその仲の良さをコミュニケーション能力が高い人の証と考えるなど、その仲の良さの部分のみに注目し積極的に評価する女性が増えて来ているようなのです。

「ファザコン」「マザコン」を自己アピールポイントと考える人が出て来た

そしてこのような世間の評価の変化を受けてのものでしょうか、「ファザコン」「マザコン」を自己アピールポイントと考える人も出て来たようです。

もっとも「ファザコン」に関しては、昔からそのある意味子どもっぽさを女性的な可愛らしさと考える女性は少なからずいました。
しかし「マザコン」については、上述のようにこれまで散々な評価でしたので自ら表明するような男性はほとんどいなかったように思います。
ですからその当時を知る私には、その「マザコン」に対する評価の一変は驚くべきことでした。

「ファザコン」「マザコン」をアピールポイントと考える人の増加は、これまでの発達心理学の常識を覆すもの

またこの「ファザコン」「マザコン」をアピールポイントと考える人の増加は、これまでの発達心理学の常識を覆すものでもあります。

大学などで発達心理学について学んだことがある方でしたら、自我が目覚め特に思春期に差し掛かると、典型的には男子は母親のことを疎ましく女子は父親のことを気持ち悪く感じるなどして、物理的にも心理的に距離を置きがちになり、しかしこれは精神的な自立のための正常な反応と教わったと思いますし、今でもこの重要性は専門家の方から指摘され続けています。

「ファザコン」「マザコン」の高評価は共生期の関係に居心地の良さを感じる人の増加を意味している

このこれまでの発達心理学の常識的な見解からみれば「ファザコン」「マザコン」の人は精神的な自律を達成できていない未だに子どものように未熟な心理状態にあるということになります。
ですからそのような男性に対して嫌悪感を感じるのではなく、むしろ「こんなにお母さんのことを大切にしている人なら自分も同じように大切にしてくれるに違いない」と考える女性は、その男性と同じく精神的な自律を達成できていない可能性が危惧されます。

だからこそ別個の心を持つがゆえに何でも分かり合えることは望めない大人同士の関係よりも、その点のストレスが少ない限りなく仲の良い共生的な関係に惹かれるのではないかと考えられます。

もっとも日本は極力対立を避け円満な人間関係を築くことに価値が置かれるお国柄ですから、仲が良いことに越したことはないと考える方も少なくないと思います。
ですので次回はこのような一見ストレスの少ない楽園のように思える共生期の関係も、実は良いことばかりではないことについて触れる予定です。


今回は予定を変更して、個性について書かせていただきます。

個性とは~辞書的な意味

まず個性の定義についてですが、人間に用いる場合の辞書的な意味は「他の人とは違った、その人特有の属性・性格」というようなものになります。

ですが私はこの個性の辞書的な意味が、それにこだわる人にかえって苦痛をもたらしているのではないかと考えています。

辞書的な意味の個性は完全なオリジナル性を要求する

上述の個性の辞書的な意味では次の点が強調されています。
・他の人と違っていること
・他の人にはない、その人特有の要素であること

これらの条件を文字通りに受け止めれば、個性とは他の人とは少しも似たところのない完全にオリジナルなものである必要があることになります。

このため個性的であろうとすれば、他の誰とも少しも似たところのない人間になることを目指したり、あるいは他人が絶対に真似することのできないスキルや成果を追い求めることになったりしがちです。

この世に他の誰とも似たところのない完全にオリジナルな人間などいない

ところがこの地球上には73億人(2015年の統計)、日本だけでも約1億2千万人もの人々が暮らしています。
こうした状況の中で、辞書的な意味の個性を発揮することは果たして可能なのでしょうか?
私は不可能だと思います。

理屈っぽい考察と思われるかもしれませんが「自分だけのオリジナル」「自分にしかできない」ことを追い求める人は、必然的に「他人との絶対的な違い」を求めることにもなるため、無自覚なだけでこのような難問に直面しているはずです。

完全にオリジナルな存在であることを追い求める自己愛的な人

しかしそれでもこの困難な道を歩もうとする人の典型が自己愛的な性格構造の人々です。
なぜなら自己愛的な人は、常に自分の存在価値の問題に悩まされていることから、世界で唯一の存在であることを意味する個性の概念は、その問題の究極の解決手段のように思えるためです。

「他でもない自分にしかない、あるいはできないことを自分は持っている」
常に存在価値の問題に悩まされている自己愛的な人にとっては、これ以上ない理想的な状況でしょう。

「個性」とは他人との比較の概念

またこの個性が「他の人とは違った」という他人との比較で成り立つ概念であることも、自己愛的な人の心を引きつける一因です。

「理想化-価値下げ」の防衛機制が自己愛的な症状を生み出す~自己愛講座8」にも書きましたように、自己愛的な人は常に他人と自分とを比較し、かつ自分と相手とどちらが上かということに心を奪われがちです。
これは自分の存在価値の証の1つとして他人との優劣が大きなウエイトを占めているためと考えられます。

このような特徴を持つ自己愛的な人にとって、個性の概念は常に自分を悩ます存在価値を確固たるものにするだけでなく「自分には凡人にはない特別な○○がある」との優越感をももたらす非常に魅力的なものです。

「個性的であらねばならない」との風潮は社会全体が自己愛化している証

最後に個性をまるで病理であるかのように述べた今回の記事に違和感を感じた方がいらっしゃるかもしれませんので、その点について補足しておきます。

私は個性自体を病理だと思っているわけではありません。問題視しているのはそれを貪欲に追い求める強迫的な心理の方です。

以前に「私説:アイデンティティの感覚は自己不全感により自覚されるもの」の中で、自尊感情が満たされている人にとって「自分はどのような人間なのか」を意味するアイデンティティはほとんど意識されることがないと書いたことがあります。

私は個性もこれと同じで、自尊感情が満たされている人は「自分が個性的か否か」について心を煩わされることはほとんどなく、常にそのことが気になるのは自尊感情の低さの表れと考えています。

ですから「個性的であらねばならない」との風潮は、多くの人の自尊感情の低下を反映した社会全体の自己愛化の証ではないかと考えています。

次回は強迫的に求めなくても存在すると考えられる個性の姿について考察する予定です。

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カウンセラー プロフィール

田尻健二
保有資格:
産業カウンセラー
米国NLP協会TM認定NLPマスタープラクティショナー
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