10423338_660480230700709_58030714_n.jpg


自己心理学 一覧


今回の記事は境界性パーソナリティの特徴として最もよく取り上げられる見捨てられ不安の特徴を、これまで同様ドラマ『きみが心に棲みついた』の主人公、今日子の心理を例に考察します。
またその「見捨てられ不安」の心理やそこから生じる行為を、自己愛性パーソナリティと比較致します。

強い依存心は自己愛性パーソナリティの人にも生じる

まず『きみが心に棲みついた』の主人公が吉崎や元彼の星名に対して生じている強い依存心は境界性パーソナリティ特有のものではなく、自己愛性パーソナリティの人にもよく生じます。

「理想化-価値下げ」の防衛機制が強い依存心を生じさせる

そしてその際に自己愛性パーソナリティの人の心に生じているのは、自己愛講座8でも取り上げた「理想化-価値下げ」と呼ばれる防衛機制であると考えられています。
その作用機序は典型的には次のようなものです。

1. 何かショックなことがあり極度に落ち込む。
2. 自分が何の価値もない人間に思えて来る(自分自身が「価値下げ」される)
3. 普段から他人との比較に心を奪われているため、自分が価値下げされたことで、劣った自分と比較して他人を「理想化」しやすくなる。
4. そのような時に「たまたま少しでも」優しくしてくれた人がいると、その人のことを極度に理想化し、あらゆる良い性質を完璧に備えた存在と錯覚する。
5. さらに今自分が非常に辛い状態であることから、この状況から救い出して欲しいとの願望を投影し、何でも望みを叶えてくれる存在とも錯覚する。

これらの作用機序により相手を「自分のためだけの」救世主のように錯覚することが、自己愛性パーソナリティの人の対人依存の典型的なパターンと考えられています。
またこの「自分のためだけの」という錯覚が、束縛や病的な嫉妬といったストーカーやDVの心理を生み出す要因ともなります。

境界性パーソナリティの人の特徴して挙げられる「見捨てられ不安」と脅かし行為

前述のように強い対人依存自体は自己愛性パーソナリティの人にもよく見られる現象であるため、同じようなことでも境界性パーソナリティの人に特有のものとしてよく挙げられるのが、見捨てられ不安と呼ばれる現象です。
ただこのような不安も自己愛性パーソナリティの人も感じることがあるため、その差は「不安の強さの度合い」と、そこから生じる「行動」面の違いということになります。

両パーソナリティの最も大きな違いは、見捨てられそうと感じた時に取る行動に現れ、それが境界性パーソナリティの人の場合は(文字通りの意味で)なりふり構わないものとなる点です。
例えば境界性パーソナリティ障害の診断基準を満たすほど重症の人の場合は、相手を繋ぎ止めるために自殺の可能性をほのめかしたり、あるいは衝動的に行為に及んでしまうこともあります。

それに対して自己愛性パーソナリティの人が見捨てられ不安のようなものを感じても、なりふり構わずそれを阻止する行動に出ることは滅多にありません。
これはそうした辛い状況であっても、救世主のように理想視している相手から嫌われることへの恐れから、脅かし行為にブレーキがかかるからではないかと考えられます。
このためストレス状態から逃れることができず、抑うつ状態に陥ってしまうのが典型的なパターンです。

またこのことから境界性パーソナリティの人は、自己愛性パーソナリティの人が恐れているような他者評価のことなど気にしていられないほど精神的に追い込まれていると考えることもできます。

具体例〜ドラマ『きみが心に棲みついた』第2話の終盤のシーン

この点はドラマ『きみが心に棲みついた』では、第2話の終盤で星名が同期入社の同僚と非常に親しげに接しタクシーで去ろうとしているところを、主人公が必死に阻止しようとしているシーンによく表れていました。

恐らくこの時の主人公の心の中は、星名を同僚と引き離し自分の元に取り戻すことのみで占められており、それ以外の例えば彼の愛を取り戻すにしても手段を選ばなければ彼から嫌われてしまう可能性や、あるいは普段はストーカー並みの激しい関わり方で思いを寄せている吉崎のことを延々と喫茶店で待たせていることなどまったく意識できなくなっていたはずです。

この『きみが心に棲みついた』の主人公のように、強いストレス下に置かれた時に、あることで頭がいっぱいになってしまう傾向は、これまで述べてきた精神的に追い詰められていることによる余裕のなさに加えて、これまで「『きみが心に棲みついた』は境界性パーソナリティの心理を巧みに描いたドラマ〜スプリッティング編」「スプリッティングは衝動的な行動や絶対服従的な態度を誘発してしまう〜『きみが心に棲みついた』の主人公の心理を例に」で取り上げたスプリッティングと呼ばれる心を真っ二つに切り離してしまう防衛機制の影響も大きいと考えられます。

境界性パーソナリティの「見捨てられ不安」には両極端な解釈が存在する

また前述の境界性パーソナリティの人の、見捨てられ不安から生じる相手を繋ぎ止めるための必死の行為に対する解釈は、臨床心理の現場でも二分されています。

自我心理学における「見捨てられ不安」の解釈

例えば精神分析の中でも、フロイトの流れを汲む自我心理学では、必死の繋ぎ止め行為に対して、そのような脅かしによって相手を自分の思い通りに操ろうとする無意識の支配欲求を想定しがちです。
具体的には、たとえ境界性パーソナリティの人がどんなに苦しい思いからそのような行為に至っているのだとしても、その行為によって無自覚な支配欲求を満たすことができる、そのようなメリットがあるからこそ脅かし行為が繰り返されるというような解釈です。

自己心理学における「見捨てられ不安」の解釈

それに対して自我心理学に対抗するようにして生まれた自己心理学では、同じ現象に対してまったく異なる解釈の仕方をします。
自己心理学では共感を非常に重視しますので、解釈も同様のスタンスで行います(共感的解釈)。
そのため見捨てられ不安が引き起こす行為についても、そこまで必死にならざるを得ないほど精神的に追い込まれている証と解釈し、また自我心理学が想定する支配欲求については、他人から見ればそのように見えるだけであり、決してそのような欲求を抱いているわけではないと、その解釈を退けます。

またこの境界性パーソナリティの「見捨てられ不安」に対する2つの両極端な解釈を『きみが心に棲みついた』の主人公への視聴者の評価と関連づけると、主人公の言動に対してイライラする人は行為の背後に自我心理学的な欲求を感じ取り、対して同情したくなる人は自己心理学的な解釈を無意識に行ない主人公の辛さに共感しているのではないかと考えられます。

補足)境界性パーソナリティの人は、脅かし行為の他に、相手の愛情や友情を試す行為も、それらが確信できなくなる度に行うことが指摘されていますが、今回は割愛させていただきます。

次回は「見捨てられ不安」とは別に対人依存のあり方全般においても、境界性パーソナリティと自己愛性パーソナリティには大きな違いが見られることから、その点をこれまで同様『きみが心に棲みついた』と関連づけながら考察する予定です。

境界性パーソナリティの心理 参考文献

ナンシー・マックウィリアムズ著「パーソナリティ障害の診断と治療」、創元社、2005年
G.O. ギャバード著『精神力動的精神医学―その臨床実践「DSM‐4版」〈3〉臨床編 2軸障害』、岩崎学術出版社、1997年


今回は「私説:子育てなど環境の影響を強調し過ぎたことで、アダルトチルドレンの他罰主義的思想などを助長してしまったコフートの自己心理学」の最後で触れた、当初は私から見ればバランスの良い考え方をしていたコフートが晩年に近づくにしたがい人間の自己愛的な欲求(自己対象欲求)を普遍化していった様子について書きます。

人間関係に関わる根源的な欲求として自己対象欲求を想定したコフート

これまで自己愛講座自己対象欲求と呼ばれる人間の心理的な欲求を何度か取り上げました。
これはコフートの晩年の考え方に従えば、人間なら誰しも持っている人間関係に関わる根源的な欲求です。

簡単に振り返りますと、自分の存在価値を感じるために他人からその価値を承認あるいは賞賛して欲しいと願う鏡(鏡映)自己対象欲求、不安になったときに頼りにできたり、人生の目標や理想的な姿を示してくれるような存在を望む理想化自己対象欲求、そして自分と似た部分を持つ人と一緒にいることで安心感を得たいと願う分身(双子)自己対象欲求の3つの欲求です。

当初コフートは自己対象欲求を自己愛障害に特有の欲求と見なしていた

最初の重要な著書である『自己の分析』を書いた頃のコフートは、上述の自己対象欲求を自己愛障害(現在の自己愛性パーソナリティ障害)の人に固有の欲求と考えていたようです。
具体的には分析家である自分に対して被分析家(相談者)が頻繁に承認や賞賛を求めたり、あるいは過剰に自分のことを理想化したりすることがあれば、そのことをもって自己愛障害と診断していました。

自己愛障害の治療には自己対象欲求の充足が必要との考えを提唱

そしてその自己愛障害の人に対しては、自己対象欲求を直ちに問題視するのではなく、ロジャーズ派の傾聴の要約や明確化に近い形の解釈を伝えつつその欲求を受け止め続けることが有効と考え実践していたようです。

ちなみに、このコフートのアプローチの仕方は、私の経験では自己愛性パーソナリティ障害の診断が下されるほど重症の人の向ける自己対象欲求は相手を消耗させてしまうほど激しく、それは辛い日常を生き延びるための必死の方策の現れと想定されるため、それ以外のアプローチはすべて関係を悪化させるだけで役に立たなかったからではないかと考えられます。
ですから、このコフートのアプローチは日々の臨床経験から生まれたものではないかと私は考えています。

自己対象欲求もその充足も普遍化して行った晩年のコフート

以上のように自己対象欲求とは、元々は自己愛障害の人に顕著に現れるもので、その激しさゆえに少なくても治療の初期にはその充足に徹するしか術がないとの理解だったように思えます。

ところがその後のコフートは『自己の修復』そして最後の著書『自己の治癒』へと至るうちに考え方を大きく変えて行きました。

自己対象欲求を誰もが常に充足を求めるほど普遍的な欲求と考えるように変化したコフート

具体的には自己対象欲求を自己愛障害の人だけではなく、人間なら誰もが欲する普遍的な欲求と考えるようになりました。
しかもそれだけではなくその程度についてもそれを空気に例え、生涯にわたって常に必要とされるものとまで考えるようになりました。

自身の理論を自己愛の心理学からより普遍的な自己心理学へと改訂

ここに至って自己対象欲求の理論は病理的な自己愛の心理の記述のためではなく人間一般の心を考察するための理論へと昇格したため、コフートは自身の理論を自己心理学と呼ぶようになりました。

かつて自己愛障害の人の行為とみなされていたことが正常なものへと改訂された印象さえ受ける

この自己対象欲求の普遍化に対しては「誰もが欲する当たり前の欲求」という点については同意します。
しかし空気のように常に満たされ続ける必要があるものとの考えには違和感を感じます。

なぜならこのコフートの例えから連想されるのは、不安や悲しみ、寂しさなどの辛い感情を感じたときに、それを少しも我慢することなく他人の迷惑など顧みず即座に誰かを頼って解消しようとするような人のイメージです。
ですがこうした人の行為を人間なら当然のこととして許容できる人が、果たしてどれだけいるでしょうか。
しかしコフートの言葉を文字通りに受け止めれば、このような人間像になってしまうのです。

欲求は我慢する必要がないと考えるようになりつつある現代人

以上のような晩年のコフートの考え方が直接援用されているわけではありませんが、5年ほどまえからマスメディアの福祉番組などを通して、この自己対象欲求を無条件に肯定するような考え方を地で行くような価値観の広がりを感じるようになりました。
次回はその点について書こうと思っています。

参考文献

ハインツ・コフート著『自己の治癒』みすず書房

コフートの著書は精神分析家の間でも難解と言われ、最後の著書であるこの『自己の治癒』だけが唯一読みやすいものとして知られています。
ですが今回述べたような特徴を有していますので、ぜひ批判的に読み進めていただけますでしょうか。

ハインツ・コフート著『自己の治癒』


今回は「私説:あまりに大人びた子どもの態度は親子の役割の逆転現象を促す」の最後で告知した、コフートの自己心理学の考えがもたらした弊害についてです。

初回の今回は、コフートが子育てなど環境の影響をあまりに強調し過ぎたことで、他罰主義的な思想を助長してしまった可能性があることについて書きます。

人間の性格は気質と環境からの影響との相互作用で決まるとの考え方が主流

人間の性格形成に関しては様々な理論が存在しますが、大学の発達心理学の教科書などを読みますと、気質と呼ばれる生まれながらに有する大ざっぱな性格傾向と、その後の両親をはじめとした人との関わりなど環境の影響との複雑な相互作用によって形作られるとの考えが主流のようです。

これは至極妥当な考え方だと思います。
2人以上のお子さんを産んだ経験のある方でしたら、産まれた瞬間の赤ちゃんの様子に明らかに違いが見られることがあったかと思いますが、これが気質の現れと考えられます。

また、もし生まれながらの気質によって既に性格が決定されているのだとすると、どのような環境の元で育ったとしてもその影響を一切受けないこととなり、したがって法律に抵触さえしなければどのような子育てをしても構わないという結論が引き出されますが、これも信じ難いことではないでしょうか。

別名「悪い母親理論」と呼ばれるコフートの自己心理学

ところがコフートは気質についてはほとんど言及せず、もっぱら環境それも親の関わり方を問題としました。
このためコフートの自己心理学は別名「悪い母親理論」と呼ばれています。
もっともこれは子育ての責任をすべて母親に負わせるという意味ではなく、母親の役割を担う人との関係が子どもの性格形成に決定的な影響を与えることを示唆したものです。

アダルトチルドレンの他罰主義的な思想に影響を与えた可能性

精神分析の文献を読んでいますと、このコフートの理論は同じく環境因を重視したウィニコットの理論とともに、内輪の精神分析界のみならず精神保健の分野をはじめとした社会に非常に大きな影響を及ぼした旨の記述をよく見かけますが、その具体的な現れの1つがアダルトチルドレンの概念ではないかと私は思っています。

ご承知のようにアダルトチルドレンの概念は、個人の病理的な心理の発生要因をもっぱら機能不全家族と呼ばれる不健全な家庭環境に求めるものであるため、私の知る限り気質の影響は一切考慮されていません。

このためアダルトチルドレンの概念は、子どもの頃にいろいろと辛い思いをした人々に癒しをもたらした反面、当事者の方々の間に自分の人生が上手く行かない原因をすべて親や兄弟姉妹のせいにする極端に他罰的な発想をも生み出してしまいました。
つまり「あなたは何も悪くない。悪いのはすべてあなたの家族で、あなたはその可哀想な犠牲者。」との意味合いで受け取られてしまったのです。

もっともこのような極端な発想は受け手にも問題があるとはいえ、こうなってしまったのもコフートと同じく環境因ばかりを強調してしまったためと考えられます。

「私は何も悪くない」と思う人は心理的な成長を止め、更なる困難を招いてしまう

心理療法の仕事を始めてから12年が経ちますが、この短い期間だけでも「私は何も悪くない。悪いのは他人や社会で、自分はその犠牲者」と考える人が増えているだけでなく、そのような考え方をマスメディアを通して専門家が肯定するようになって来ていることに危機感を感じています。

なぜなら、自分には一切非がないと思っている人は、反省するべきなのは常に自分以外の誰かであり、自らは被害者として無条件に救済される存在と確信しているため、心理的な成長を止めてしまうことで更なる困難を招いてしまいかねず、そうしてますます他人や社会への恨みを募らせて行くという悪循環に陥ってしまうことが予想され、これはその人にとっても社会全体にとっても何の得にならないように思えるためです。

当初は考えが異なっていたコフート

もちろんこうした社会の潮流がすべてコフートのせいであるわけではありませんが、それでもコフートのことを引き合いに出したのは、彼が当初は私から見ればもっとバランスの良い考え方をしていたように思えるためです。
次回はその点について触れたいと思います。

最後にコフートの自己心理学の入門書として、和田秀樹さんの著書を上げておきます。
これから心理学を学ぶ大学生に向けた講義を下敷きにした本ですので、特に心理学の知識を必要としないと思います。

和田秀樹著「自己愛」と「依存」の精神分析―コフート心理学入門

このページの上部へ

カウンセラー プロフィール

田尻健二
保有資格:
産業カウンセラー
米国NLP協会TM認定NLPマスタープラクティショナー
プロフィール詳細


サイト内検索

最近のエントリー

  1. 自己愛的な人が感情を持たない冷酷な人間との印象を与えるのは誇大モードにある時だけ〜自己愛講座37
  2. 共依存的な関係にあるDVの被害者のニーズの1つは「加害者を変えたい」というもの
  3. 共依存的なDVの被害者は、関係を断つためには加害者の許可が必要と考えている人が多い〜ドラマ『きみが心に棲みついた』を例に
  4. 弁証法的行動療法におけるマインドフルネスと、一般に広まるリフレッシュ法としてのマインドフルネスとの比較
  5. 私説:リハネンが開発した弁証法的行動療法におけるマインドフルネスの技法と効果
  6. サイコパス(反社会性パーソナリティ)と自己愛性パーソナリティの共通点と相違点
  7. 境界性パーソナリティの人の、周囲の評価を二分する傾向〜ドラマ『きみが心に棲みついた』と私の実体験を例に
  8. 境界性パーソナリティと自己愛性パーソナリティの対人依存の特徴の違い〜ドラマ『きみが心に棲みついた』の主人公の心理を例に
  9. 境界性パーソナリティの「見捨てられ不安」の特徴〜ドラマ『きみが心に棲みついた』の主人公の心理を例に、自己愛性パーソナリティと比較
  10. スプリッティングは衝動的な行動や絶対服従的な態度を誘発してしまう〜『きみが心に棲みついた』の主人公の心理を例に

全ての記事一覧を見る

カテゴリ




このHPとは異なる情報をFBページにも投稿しておりますので、こちらもフォローしていただけますと嬉しいです↓

最近のピクチャ

  • マーシャ・M. リネハン著『弁証法的行動療法実践マニュアル』