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自己心理学 一覧


今回は予定を変えて自己愛講座を投稿します。

グリム童話『白雪姫』のお妃の白雪姫に対する激しい羨望と殺意

「鏡よ、鏡、鏡さん、世界で一番美しい人は誰?」
ご存知、グリム童話『白雪姫』の中の一節です。

このお妃はある時、鏡が世界で一番美しい人を自分ではなく白雪姫と答えたことに激怒して、その白雪姫を殺害しようと企てるのですが、このお妃の心理は他人との優劣に心を奪われている自己愛的な人が抱く羨望の特徴をよく示しています。

羨望とは

羨望とは、自分にない属性を他人が持っていることに対して羨ましさを感じることですが、そのことで自分が劣っていると感じられる時には自己肯定感が低下するため、そのような不快な感情を感じさせられたことへの怒りや、他人がその属性を失うことを望む感情が生じることもあります。
また三者関係で用いられる嫉妬と区別するために使われる言葉でもあります。

自己愛的な人は常に自分と他人とを比較し、その優劣に心を奪われているため、かなりの頻度でこの羨望に苦しめられることになります。

羨望に対する自己心理学的な解釈

自分が一番でないと気が済まないため、そうではないと言われたことで酷く自尊心を傷つけられた。
そして自分の地位を奪い、そのことで自分を傷つけた白雪姫に対して激しい恨みが生じた。
また殺意は恨みの強さのみならず、白雪姫を殺害することで一番の座を奪い返したとの欲望を反映しているものと考えられます。

このようにお妃の行動は、ハインツ・コフートの創設した自己心理学的な解釈からは、自尊心を酷く傷つけられたことへの報復とみなされ、このような心の有様をコフートは自己愛憤怒と名付けました。

殺意に対する自我心理学的な解釈

一方、そのコフートの永遠のライバルとも言える自我心理学派の重鎮のオットー・カーンバーグは、羨望に対してコフートとはまったく異なる解釈をします。

カーンバーグによれば『白雪姫』のお妃のような人物の羨望は、傷つきへの反応というよりも元々有する他人への攻撃的な本能の表れと解釈されます。
このようにカーンバーグの理論に照らせば、自己愛的な人は本質的に病的であるため、些細なことでその本能的な怒りを爆発させやすい人とみなされます。

以上のような解釈の違いがあるため、もしお妃がクライエントであれば、コフートならその殺意に対して「それは余程のことだったのでしょう」と共感を示すのに対して、カーンバーグは「それはあなたの攻撃的な本能の表れでしょう」と解釈すると予想されます。

このように自己愛の病理の臨床は、精神分析の内部でも学派により対照的とも言えるほど異なっています。

ではどちらの解釈が役立つのかと言えば、それは『パーソナリティ障害の診断と治療』の中で「コフートの患者はニコニコして帰って行くのに対して、カーンバーグの患者は苦虫を噛み潰したような表情で帰って行く」と記述されているように、治療における良好な人間関係の形成に関して非常に大きな開きが生じます。

自己愛的な病理の臨床はコフート的な態度を持ってしても大変困難

ただ自己愛の病理の臨床が難しいのは、コフートのような態度を持ってしても解釈に聞き耳を持ってもらえるようになるのはずっと先、場合によっては何年も先であるということです。
これには自己愛的な人の被害感情や羞恥心の強さが関係していると考えられます。

これは、たとえどれほど共感的な内容だったとしても、その人の心が一因であるとの解釈は、被害感情が非常に強い人には「自分にも非がある」と言われているように受け止められますし、また羞恥心が非常に強い人にとっては、自分の心に焦点が当てられること自体すでに耐え難いことであるためです。

今回取り上げた白雪姫のお妃のような人物は、映画やドラマなどにはよく登場しますが、もっと穏やかな形は日常でもしばしば見受けられます。
先日、カフェで偶然そのような親を見かけましたので、次回は今回考察したような自己愛的な羨望の心理がいかに子供に悪影響を及ぼし、かつそうして自己愛の病理が世代間を伝達されて行くのかを紹介したいと考えております。

追伸)『狼と赤ずきん』もそうですが、グリム童話は自己愛の心理の宝庫です。

参考文献

ナンシー・マックウィリアムズ著「パーソナリティ障害の診断と治療」、創元社、2005年
初版グリム童話集

初版グリム童話集2


今回の記事は境界性パーソナリティの特徴として最もよく取り上げられる見捨てられ不安の特徴を、これまで同様ドラマ『きみが心に棲みついた』の主人公、今日子の心理を例に考察します。
またその「見捨てられ不安」の心理やそこから生じる行為を、自己愛性パーソナリティと比較致します。

強い依存心は自己愛性パーソナリティの人にも生じる

まず『きみが心に棲みついた』の主人公が吉崎や元彼の星名に対して生じている強い依存心は境界性パーソナリティ特有のものではなく、自己愛性パーソナリティの人にもよく生じます。

「理想化-価値下げ」の防衛機制が強い依存心を生じさせる

そしてその際に自己愛性パーソナリティの人の心に生じているのは、自己愛講座8でも取り上げた「理想化-価値下げ」と呼ばれる防衛機制であると考えられています。
その作用機序は典型的には次のようなものです。

1. 何かショックなことがあり極度に落ち込む。
2. 自分が何の価値もない人間に思えて来る(自分自身が「価値下げ」される)
3. 普段から他人との比較に心を奪われているため、自分が価値下げされたことで、劣った自分と比較して他人を「理想化」しやすくなる。
4. そのような時に「たまたま少しでも」優しくしてくれた人がいると、その人のことを極度に理想化し、あらゆる良い性質を完璧に備えた存在と錯覚する。
5. さらに今自分が非常に辛い状態であることから、この状況から救い出して欲しいとの願望を投影し、何でも望みを叶えてくれる存在とも錯覚する。

これらの作用機序により相手を「自分のためだけの」救世主のように錯覚することが、自己愛性パーソナリティの人の対人依存の典型的なパターンと考えられています。
またこの「自分のためだけの」という錯覚が、束縛や病的な嫉妬といったストーカーやDVの心理を生み出す要因ともなります。

境界性パーソナリティの人の特徴して挙げられる「見捨てられ不安」と脅かし行為

前述のように強い対人依存自体は自己愛性パーソナリティの人にもよく見られる現象であるため、同じようなことでも境界性パーソナリティの人に特有のものとしてよく挙げられるのが、見捨てられ不安と呼ばれる現象です。
ただこのような不安も自己愛性パーソナリティの人も感じることがあるため、その差は「不安の強さの度合い」と、そこから生じる「行動」面の違いということになります。

両パーソナリティの最も大きな違いは、見捨てられそうと感じた時に取る行動に現れ、それが境界性パーソナリティの人の場合は(文字通りの意味で)なりふり構わないものとなる点です。
例えば境界性パーソナリティ障害の診断基準を満たすほど重症の人の場合は、相手を繋ぎ止めるために自殺の可能性をほのめかしたり、あるいは衝動的に行為に及んでしまうこともあります。

それに対して自己愛性パーソナリティの人が見捨てられ不安のようなものを感じても、なりふり構わずそれを阻止する行動に出ることは滅多にありません。
これはそうした辛い状況であっても、救世主のように理想視している相手から嫌われることへの恐れから、脅かし行為にブレーキがかかるからではないかと考えられます。
このためストレス状態から逃れることができず、抑うつ状態に陥ってしまうのが典型的なパターンです。

またこのことから境界性パーソナリティの人は、自己愛性パーソナリティの人が恐れているような他者評価のことなど気にしていられないほど精神的に追い込まれていると考えることもできます。

具体例〜ドラマ『きみが心に棲みついた』第2話の終盤のシーン

この点はドラマ『きみが心に棲みついた』では、第2話の終盤で星名が同期入社の同僚と非常に親しげに接しタクシーで去ろうとしているところを、主人公が必死に阻止しようとしているシーンによく表れていました。

恐らくこの時の主人公の心の中は、星名を同僚と引き離し自分の元に取り戻すことのみで占められており、それ以外の例えば彼の愛を取り戻すにしても手段を選ばなければ彼から嫌われてしまう可能性や、あるいは普段はストーカー並みの激しい関わり方で思いを寄せている吉崎のことを延々と喫茶店で待たせていることなどまったく意識できなくなっていたはずです。

この『きみが心に棲みついた』の主人公のように、強いストレス下に置かれた時に、あることで頭がいっぱいになってしまう傾向は、これまで述べてきた精神的に追い詰められていることによる余裕のなさに加えて、これまで「『きみが心に棲みついた』は境界性パーソナリティの心理を巧みに描いたドラマ〜スプリッティング編」「スプリッティングは衝動的な行動や絶対服従的な態度を誘発してしまう〜『きみが心に棲みついた』の主人公の心理を例に」で取り上げたスプリッティングと呼ばれる心を真っ二つに切り離してしまう防衛機制の影響も大きいと考えられます。

境界性パーソナリティの「見捨てられ不安」には両極端な解釈が存在する

また前述の境界性パーソナリティの人の、見捨てられ不安から生じる相手を繋ぎ止めるための必死の行為に対する解釈は、臨床心理の現場でも二分されています。

自我心理学における「見捨てられ不安」の解釈

例えば精神分析の中でも、フロイトの流れを汲む自我心理学では、必死の繋ぎ止め行為に対して、そのような脅かしによって相手を自分の思い通りに操ろうとする無意識の支配欲求を想定しがちです。
具体的には、たとえ境界性パーソナリティの人がどんなに苦しい思いからそのような行為に至っているのだとしても、その行為によって無自覚な支配欲求を満たすことができる、そのようなメリットがあるからこそ脅かし行為が繰り返されるというような解釈です。

自己心理学における「見捨てられ不安」の解釈

それに対して自我心理学に対抗するようにして生まれた自己心理学では、同じ現象に対してまったく異なる解釈の仕方をします。
自己心理学では共感を非常に重視しますので、解釈も同様のスタンスで行います(共感的解釈)。
そのため見捨てられ不安が引き起こす行為についても、そこまで必死にならざるを得ないほど精神的に追い込まれている証と解釈し、また自我心理学が想定する支配欲求については、他人から見ればそのように見えるだけであり、決してそのような欲求を抱いているわけではないと、その解釈を退けます。

またこの境界性パーソナリティの「見捨てられ不安」に対する2つの両極端な解釈を『きみが心に棲みついた』の主人公への視聴者の評価と関連づけると、主人公の言動に対してイライラする人は行為の背後に自我心理学的な欲求を感じ取り、対して同情したくなる人は自己心理学的な解釈を無意識に行ない主人公の辛さに共感しているのではないかと考えられます。

補足)境界性パーソナリティの人は、脅かし行為の他に、相手の愛情や友情を試す行為も、それらが確信できなくなる度に行うことが指摘されていますが、今回は割愛させていただきます。

次回は「見捨てられ不安」とは別に対人依存のあり方全般においても、境界性パーソナリティと自己愛性パーソナリティには大きな違いが見られることから、その点をこれまで同様『きみが心に棲みついた』と関連づけながら考察する予定です。

境界性パーソナリティの心理 参考文献

ナンシー・マックウィリアムズ著「パーソナリティ障害の診断と治療」、創元社、2005年
G.O. ギャバード著『精神力動的精神医学―その臨床実践「DSM‐4版」〈3〉臨床編 2軸障害』、岩崎学術出版社、1997年


今回は「私説:子育てなど環境の影響を強調し過ぎたことで、アダルトチルドレンの他罰主義的思想などを助長してしまったコフートの自己心理学」の最後で触れた、当初は私から見ればバランスの良い考え方をしていたコフートが晩年に近づくにしたがい人間の自己愛的な欲求(自己対象欲求)を普遍化していった様子について書きます。

人間関係に関わる根源的な欲求として自己対象欲求を想定したコフート

これまで自己愛講座自己対象欲求と呼ばれる人間の心理的な欲求を何度か取り上げました。
これはコフートの晩年の考え方に従えば、人間なら誰しも持っている人間関係に関わる根源的な欲求です。

簡単に振り返りますと、自分の存在価値を感じるために他人からその価値を承認あるいは賞賛して欲しいと願う鏡(鏡映)自己対象欲求、不安になったときに頼りにできたり、人生の目標や理想的な姿を示してくれるような存在を望む理想化自己対象欲求、そして自分と似た部分を持つ人と一緒にいることで安心感を得たいと願う分身(双子)自己対象欲求の3つの欲求です。

当初コフートは自己対象欲求を自己愛障害に特有の欲求と見なしていた

最初の重要な著書である『自己の分析』を書いた頃のコフートは、上述の自己対象欲求を自己愛障害(現在の自己愛性パーソナリティ障害)の人に固有の欲求と考えていたようです。
具体的には分析家である自分に対して被分析家(相談者)が頻繁に承認や賞賛を求めたり、あるいは過剰に自分のことを理想化したりすることがあれば、そのことをもって自己愛障害と診断していました。

自己愛障害の治療には自己対象欲求の充足が必要との考えを提唱

そしてその自己愛障害の人に対しては、自己対象欲求を直ちに問題視するのではなく、ロジャーズ派の傾聴の要約や明確化に近い形の解釈を伝えつつその欲求を受け止め続けることが有効と考え実践していたようです。

ちなみに、このコフートのアプローチの仕方は、私の経験では自己愛性パーソナリティ障害の診断が下されるほど重症の人の向ける自己対象欲求は相手を消耗させてしまうほど激しく、それは辛い日常を生き延びるための必死の方策の現れと想定されるため、それ以外のアプローチはすべて関係を悪化させるだけで役に立たなかったからではないかと考えられます。
ですから、このコフートのアプローチは日々の臨床経験から生まれたものではないかと私は考えています。

自己対象欲求もその充足も普遍化して行った晩年のコフート

以上のように自己対象欲求とは、元々は自己愛障害の人に顕著に現れるもので、その激しさゆえに少なくても治療の初期にはその充足に徹するしか術がないとの理解だったように思えます。

ところがその後のコフートは『自己の修復』そして最後の著書『自己の治癒』へと至るうちに考え方を大きく変えて行きました。

自己対象欲求を誰もが常に充足を求めるほど普遍的な欲求と考えるように変化したコフート

具体的には自己対象欲求を自己愛障害の人だけではなく、人間なら誰もが欲する普遍的な欲求と考えるようになりました。
しかもそれだけではなくその程度についてもそれを空気に例え、生涯にわたって常に必要とされるものとまで考えるようになりました。

自身の理論を自己愛の心理学からより普遍的な自己心理学へと改訂

ここに至って自己対象欲求の理論は病理的な自己愛の心理の記述のためではなく人間一般の心を考察するための理論へと昇格したため、コフートは自身の理論を自己心理学と呼ぶようになりました。

かつて自己愛障害の人の行為とみなされていたことが正常なものへと改訂された印象さえ受ける

この自己対象欲求の普遍化に対しては「誰もが欲する当たり前の欲求」という点については同意します。
しかし空気のように常に満たされ続ける必要があるものとの考えには違和感を感じます。

なぜならこのコフートの例えから連想されるのは、不安や悲しみ、寂しさなどの辛い感情を感じたときに、それを少しも我慢することなく他人の迷惑など顧みず即座に誰かを頼って解消しようとするような人のイメージです。
ですがこうした人の行為を人間なら当然のこととして許容できる人が、果たしてどれだけいるでしょうか。
しかしコフートの言葉を文字通りに受け止めれば、このような人間像になってしまうのです。

欲求は我慢する必要がないと考えるようになりつつある現代人

以上のような晩年のコフートの考え方が直接援用されているわけではありませんが、5年ほどまえからマスメディアの福祉番組などを通して、この自己対象欲求を無条件に肯定するような考え方を地で行くような価値観の広がりを感じるようになりました。
次回はその点について書こうと思っています。

参考文献

ハインツ・コフート著『自己の治癒』みすず書房

コフートの著書は精神分析家の間でも難解と言われ、最後の著書であるこの『自己の治癒』だけが唯一読みやすいものとして知られています。
ですが今回述べたような特徴を有していますので、ぜひ批判的に読み進めていただけますでしょうか。

ハインツ・コフート著『自己の治癒』

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カウンセラー プロフィール

田尻健二
保有資格:
産業カウンセラー
米国NLP協会TM認定NLPマスタープラクティショナー
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